コンクール

イタリアで声楽コンクールに何度か入賞したことがある。でも、当然その数より駄目だった数の方が遥かに多い。その中の話を一つしよう。
1990~92年はイタリアの名テノール、ベニアミーノ・ジーリの生誕百年を祝って各地で同名の賞やコンクールが催された。僕が参加した幾つかのコンクールの中で特に印象に残っているのは、ジーリの生地であるイタリア中部のレカナーティで行われた「ジーリ生誕百年記念国際声楽コンクール」だ。参加資格はテノールである事、主催者は「ベニアミーノ・ジーリ音楽院」だった。
僕はジーリに憧れて声楽の勉強を始めた者の一人だ。学生の頃はレコードを何枚も持っていて良く聴いていたし、ビデオが手に入ると聞いたら、輸入版と分かっていても大枚を叩いてワザワザ買い、その姿を見て涙もした( それだけ映像は貴重だったとも言える)。入賞は時の運として、ジーリの生まれ故郷へ行ってみたいと思いを馳せたのは言うまでもない。コンクールの常として、決して一番上手い人が優勝する訳ではないと言うのは周知の通り。 実際、それが嫌でコンクールは受けないと言う人は数多い。また、入賞したからと言って、必ずしもキャリアに直接関係する訳でもない。そして、そのコンクールが有名であればあるほど、また何かを記念した特別なものであればあるほど胡散臭いものも多い。残念な事に、主催者側の純粋な意図とはかけ離れた結果が出る事もしばしばある。
このコンクールの審査委員長を務めたのは、つい先頃亡くなった某有名イタリア人歌手だった。また当時、この人が審査員にいると、この人の弟子だけが入賞すると言われていた。 その審査委員長がこの人だと知ったのは予選の順番を決める朝だった。結果は言うまでもない。予想通り駄目だった。参加賞の盾だけを貰った。
ところが不思議な事があって、ジーリ音楽院の学長から「うちで声楽教授をやる気はないか?」と誘われたのだ。とても驚いたし、とても嬉しかった。この人自身ジーリのファンであり、研究者の一人である。その人から直に誘われたのだから。しかし、その時僕はイタリアのディプロムを持っていなかったので、引き受ける事は出来なかった。
そして更にホテルに帰る道すがら、日本語で話し掛けられた。振り向くとイタリア人の初老の夫婦が立っていて、更にビックリ!男性の方が「日本のオーケストラにいた事があるから…」と驚いた僕に言った。一般公開だったコンクールを聞きに来てくれたのだ。男性は続けてこう言った。「成田さん残念でしたね。とても良かった。私達は一番だと思ったのに…それにジーリの事も良くご存知でしょ?歌い方も似てましたよ…」僕はただただお礼を言うばかり。入賞する以上の感激。その夜は興奮のあまりなかなか眠れなかった…。

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