行かないで…

「行かないで…」と囁いたのは女性の声だった。
しかし、どうやって僕に聞こえたのかよく分からない。
ひょっとしてあれは、はっきりとした声ではなかったのかも知れない。

昔、この辺りは女郎屋や芸者の置屋が多く、若くして病に蝕まれ、誰にも看取られる事もなく、亡くなって逝った人が多いとか。
僕を掴んだ彼女もその一人だったのだろうか?
しかし、やっとの思いで僕を引き止めたその力は、余りに弱かった。
次の瞬間、殆ど陽が差すことのなかったアパートの部屋に珍しく朝陽が差し込み、その声の主は手を僕の肩から離し、消えていなくなってしまった。

この時の手の感触を未だにはっきりと覚えている。そして、今でも後ろから不意に肩に触れられるのが苦手だ。

この話はこれでおしまい。でも、最近また妙な体験をしました。それはまた今度…。

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