ゴーゴリ:「外套・鼻」

ゴーゴリ:「外套・鼻」リヨン・オペラ座の次回公演はシャブリエの歌劇「いやいやながらの王様」ですが、これは4年前の公演と同じ演出による再演。ソリストの殆どが総入れ替えと言う所為もあり、先週までは拘束時間がやたらめったら長くて、その点が少々うんざりだったんですけど、明日はKHP、金曜日にはオケ合わせもあるし、そろそろリハーサルも大詰め。それに加えてオペラ座以外の仕事の方もぼちぼち再開するので、本を読むにはこの時を逃して他にない!とばかりに、先週は携帯でゴーゴリの「外套・鼻」(平井肇訳)を読んじゃいました(^^)
1809年ウクライナ生まれのニコライ・ゴーゴリは、ロシア・リアリズムの祖とも言われますが、その滑稽且つユーモア溢れる独特な文体は、百年以上経った今日でも古さを感じさせません。
「鼻」の方はショスタコーヴィチが曲を付けて(台本も作曲家による)オペラになっていますが、原作には登場しないキャラクターが沢山加えられているので、それを全員揃えるのは至難の業。それ故に、上演する機会の少ない作品の1つなんですが、第2幕の間奏曲 “Musical Interlude” だけはコンサートで単発で演奏される機会も多く、結構有名だったりします。
現在入手可能な録音も僕の知る限りでは、ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーが指揮をしたモスクワ室内歌劇場管の物しかありませんね。ロジェストヴェンスキーとは昔1度だけ一緒に仕事をした事がありますが、演奏者から良い音、良い歌を引き出す才能は天下一品だと思います。更にパフォーマンスと言うか何と言うか、観客を曲の中に引き込むパワーも並大抵じゃない。兎に角、凄い人でした。

すっかり話が横道に逸れてしまいましたが…
「外套」は、名誉や金銭等、世間的な幸福には一切無縁に、何十年もの間ただただ与えられた仕事だけを黙々と続けてきた万年九等官の主人公アカーキイ・アカーキエウィッチが、ボロボロになった外套をついに新調すると言う話。それは安月給の彼には身銭を切る一大事だったけれど、それを機に今迄に味わった事のない気分の高揚を味わいます。
そして、その新調した外套と共に新たな人生を歩もうとしていた矢先、アカーキエウィッチは追剥に外套を奪われた挙句、その事件が基となりついには病死してしまう。彼が死んだからと言って、周りは誰も悲しむわけでもないし、世の中は何らいつもと変わる事なく動いている。何か凄く悲しいし哀れですよね。でも、どんなに貧しい人生にだって、ほんの一瞬でも幸福を感じる時、人生が輝く時間がある。それがあるから生きると言う事は決して無駄じゃない…みたいな感じを受けます。そう思えたのはやはりゴーゴリの絶妙な手法のお陰なんでしょうかね。

それに引き換え「鼻」は、八等官コワリョーフの鼻がある日突然彼の顔から取れて独立した人格となる。しかも、自分より位の高い五等官と言うナンセンス小説。でも、一説によるとこの作品で描かれているのは、人間の「プライド」だと言われます。毎朝鏡を眺めて見入っている鼻こそが、そのプライドの象徴。人はそれを失った時一体どうなるのか?と言うお話。コワリョーフが鼻を失ってからの行動が実に可笑しいです。

2つの作品のどちらにも言えると思うんですけど、政治的な検閲が厳しかった当時のロシアに生きた、ゴーゴリならではの世の中に対する不満、皮肉が見え隠れしていてとても面白かったです。

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