ミラノに住み始めてまだ間もない1989年の9月、同じアパートに住むイタリア人から生後2ヶ月位の雄猫を貰った。
名前は色々考えた末、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」に登場するリヌッチョ(テノール)の愛称「リノ」と名付けた。
僕達はアパートの2階に住んでいたので、当然、家の中だけで飼うつもりだった。ところがある日、家中どこを探しても見当たらず途方に暮れてふと外を見ると、リノが悠々と庭を歩いていた。寝室の窓から何かのはずみで落ちてしまったのだろうか、よく見ると窓の外壁に抵抗したと思われる爪跡があった。
それ以来、いつも外に出たがった。でも、また窓から落ちてはいつの日か怪我をしてしまうのは明白。しかも玄関先で「隙あらば」と言う感じで僕達の帰宅を待っていて、前足を挟まれてしまう事も度々あった。
色々考えた末、休日には数十分外に出て一緒に遊んであげる事にした。その様はまるで「休日の親子連れ」と同じように傍には見えたかも知れない。でも、これを繰り返すうちに、リノは「僕達と一緒に外に出て、僕達と一緒に帰宅する」と言う規則を覚えた。
それからはとても面白い月日が過ぎた。リノは、外に行きたい時には、僕達が出掛ける時に一緒について来た。僕達が帰宅する時に「リ~ノ~!」と名前を呼ぶと、どこからともなく走って来てその姿がとても可愛かった。また、僕達の帰宅が夜遅くなる時は、アパートの誰かが中に入る時に自分も一緒に入ってしまい、ちゃっかり玄関先で待っていて僕達を驚かせたりする事もあった。まるで子供と同じだった。よく食べよく眠った。
1990年2月末、僕達は限られたお金で少しでも長くイタリアにいたい為に郊外に引っ越した。しかし、これによってリノは外に出る自由を失ってしまった。これが災いしたのか、それとも成長の過程で丁度そうなったのか、それからと言うもの、リノはよくベッドでオシッコをするようになった。僕達も困ったけれど、これがリノが自分なりに考えた抵抗だったのかも知れない。それでも、僕達が家にいる時は、リノが外に出られない分も一緒によく遊んだ。
1990年3月26日の夜遅く、突然リノを複数回の嘔吐と異常便が襲った。猫だからそれまでにも吐いた事はあったけれど、その時のそれはやはり異常だった。部屋の隅で小さくうずくまるリノを抱きかかえ、擦ってやりながら一刻も早く朝が来るのを待った。
しかし、リノは落ち着くどころか次第に衰弱していった。そして、27日未明、最後に蚊の鳴くような声で「ウー」と唸った後、リノは妻の腕の中で動かなくなった。あまりにも突然過ぎて信じられなかった。どうしてなのか分からなかった。死後硬直が解けて尿が体外に流れ出た後も、僕達はしばらくそのまま動けなかった。
27日の午後、アパートの窓から見える公園の隅にリノを埋葬した。いつでも話し掛けられるように、そして、以前のように元気に飛びまわるリノの姿がいつでも見えるように…たとえそれが幻だとしても…。
リノと過ごした日々を決して忘れない。
これからもずうっと僕達の長男のまま…
うちに来たばかりの頃。雄なのに赤い首輪が良く似合った。
リノのお得意の寝姿。ベッドで一緒に寝る時も、こんな風に仰向けだった。
外で彼女(?)と、チュッ…。この猫はある日、うちにやって来た。玄関を開けたらそこに鎮座していたのだ。
1990年3月7日撮影。事実上、これが最後の写真となってしまった。表情が何となく悲しげ…