中世の村ペルージュ

村の入り口昨日は夕方から、オペラ座の同僚のSさんとFさん(2人とも女性)の合同バースデー・パーティーに招かれ、リヨンから北東へ40分ほど車で行ったペルージュ Pérouges へ出掛けました。
1月末に案内を受け取る前に、Fさんから「絶対予定空けといてね!」と釘を刺されていましたが、後日受け取った案内状には「2人合わせて百歳!皆で祝杯を!!」と言う様な内容が書かれてあり、思わず大笑いしてしまいました(^^;
パーティーは、同じ仕事仲間でもあるBさんがオーナーを務めるこの村の某レストランを貸し切って催されましたが、オペラ座関係者以外にそれぞれの親類縁者・友人関係を合わせると、百人近くいたのではないかと思います。
ワインやアペリティフで暫し歓談の後、Sさんのご主人がギターを弾きながら、Sさんに捧げるバラード調の曲を歌いましたが、会場の中には貰泣きしてる人も数人いて、とても感動的でした。
その後も、歌あり、ジャズの演奏あり等々…ディナーを食べた後はまた暫くワイワイガヤガヤ歓談していると、午前零時と共に灯りが消え、いよいよケーキの登場と相成り、「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー♪」を皆で合唱。同僚皆でお金を出し合って買ったプレゼントをお2人に渡しました。選んだプレゼントは2泊3日のタラソ・テラピー優待券です。お2人にはこれからも元気で美しくいて頂きたいですからね(^^)
料理の写真を撮るのをすっかり忘れてしまいましたが、ぜ~んぶとても美味しかったですよ。はっきり言って食べ過ぎです(^^; バースデー・ケーキの後に出されたペルージュ名物のガレットまでは食べれませんでした(爆)。

ペルージュには5月半ばに別件でまた行く予定ですが、折角なので、少しだけ村の紹介を…。

村の一角ペルージュは、中世の佇まいを今に残す村です。
2006年現在、総人口は1189人だそうですが、古くから麻を主体とした織物業で栄えたこの村は、最盛期には1500人もいたそうです。ところが、19世紀に鉄道が敷かれた時、その路線から外れ、他の町で織物の工場生産が始まると、生産量では太刀打ち出来なくなり、次第に過疎化が進み、1910年頃には人口が90人程にまで落ち込み、殆ど廃村状態だったそうです。
しかし、幸いにも古い物を愛するリヨンの人達と、ペルージュに残っていたアーテイスト達がこれらの建物を買い取り、以前にも増して美しく蘇りました。現在では「フランスで最も美しい村」にも登録され、村全体が歴史的建造物に指定されています。
その所為か、週末やバカンスともなると沢山の観光客で一杯になるそうです。
ペルージュと言う名前の由来は、ローマ帝国時代にイタリアのペルージャ Perugia から逃げて来た、ガリア人 Galli (仏語ではゴール人 Gaulois)の部族によって作られたと言う史実に関係があるみたいです。以前からペルージュという土地の名前を耳にする度に、何となく違和感があったのですが、これでやっと納得です(笑)。因みに、仏語でペルージャは「ペルーズ」 Pérouse と言います。

Ostellerie du Vieux Pérouges13世紀に建てられた「オステルリー・デュ・ヴュー・ペルージュ」 “Ostellerie du Vieux Pérouges” は、ガイドブックにも載っている有名なレストラン兼宿屋ですが、現在は歴史建造物に指定されています。
普通、仏語で「オステルリー」と書く時は、 “Hostellerie” と語頭に「H」が付きますが、伊語の同意語である「オステリーア」 “Osteria” にも似ていて、ちょっぴり面白いと感じます。

Place Tilleul広場の真ん中に巨大な菩提樹がある、その名もズバリ「菩提樹広場」 Place Tilleul です。

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