「統一ドイツ誕生」の時

ベルリンの壁が崩壊してから数えると、もう15年になりますね。当時、僕はイタリアに住んでましたけど、あの時は確か旧西ドイツのフルダと言う都市の宮廷劇場でプッチーニの「蝶々夫人」に出演中でした。統一が宣言された翌朝、テレビのニュースで壁崩壊の映像が再び流れ「うわっ、今度は何?」と思ったのを覚えてます。
翌年2月に旧東ドイツ領内のヘムニッツ市民劇場やワイマール国民劇場等で歌った時、西と比べて随分違うなあと思いました。物価も比べ物にならない位まだ安かったし、道行く自動車もシュコーダやラダとかの旧式のものが殆どで数も少なかった。建物なんか第二次大戦の時にうけた砲弾の跡が残ってる所が結構あって驚きました。
その代わり東には馬蹄形の綺麗な劇場が沢山ありました。入場料も安かったし、いつも客席は一杯でオペラ本来の「皆の為の娯楽」がちゃんと成り立ってた。しかしその後、物価の上昇と共に幾つかの劇場が閉鎖に追い込まれたと言う事を知り、とても悲しかったです。

National Theaterワイマール国民劇場。ゲーテとシラーの銅像が印象的

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