猫のあくび(2)

ガオォ~!昔のアルバムを捲っていたら、前回載せたあくびの写真よりかなり強烈なのがありました。6歳頃のものです。迫力あるでしょ?

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猫のへそ?

へそはどこ? 猫だって哺乳類だから、絶対ある筈の「へそ」。ところがうちのトトロときたら、どこを探してもそれらしきものがない。正確にはお腹の真ん中辺りにあるらしいのだが、一度も見た事がない。もしかして避妊手術の時に、一緒に縫い込まれてしまったのではないだろうか?その可能性は十分にありうる。無謀にも自分の歯で引っ張って抜糸した所為で傷口が酷く化膿してしまい、再手術までしなければならなかったのだ。もしそうだとしたら、僕は獣医にこう叫びたい「へそ、かえせ~!」

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猫の体重

乗ってみましたけど...猫の体重は物の本によると、成猫で平均4キロ位とありますが、うちのトトロは6キロ。これって太り過ぎなんでしょうか?別に食べ過ぎている訳でもないし、単に運動不足とも思えません。今年の11月には14歳になりますが、これって「貫禄」と言うやつなんでしょうか?

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旧ユーゴ崩壊の頃

Santa Maria Maggiore前回に続いて、今回も思い出話。ベルリンの壁崩壊以降、東欧諸国のあちこちで体制変動への影響があったのは周知の通り。旧ユーゴスラビアも多民族国家として独立を巡り、最後は泥沼化していった。
あれは1992年の12月、現在のクロアチア共和国へ行かなければならなかった事がある。それも出発の前日迄まるで知らなかった。ユーゴってどうなったのかどうか良く知らなかったし、ビザはどうだった?とかとても焦った。当時はまだインターネットのイの字もない頃。頼りになるのは「地球の歩き方」一つだった。それも手元にあったのは何年も前のやつ。一応、ビザは要らないと言う事が書いてあったけど旧ユーゴの話。幸い領事館の資料の中に、同国への「ビザ免除」の文字を発見しホッとした。
トリエステでヘンデル「メサイア」のソロを歌う事になっていたが、オーケストラと合唱をクロアチア共和国のリエーカ市立歌劇場が受け持つ事に。でも楽員の出入国ビザが1度で済む様に、リハーサルは同劇場で行う事になっていたのだ。
指揮者、オルガン奏者、他の3人のソリストは全員イタリア人。それに日本人の僕が混じって、某日ミラノを早朝に発ったが、殆ど一日中列車に揺られて、トリエステに着いたのは夕方5時半頃。そこからは主催者側の用意したマイクロバスでの移動だった。まだまだ目的地は遠かった。
第一の難関はイタリアとスロベニア共和国との国境。イタリアから陸路でクロアチア共和国へ行く為には、先ずスロベニア共和国がある。そんなこと僕は知る筈もなく、スロベニア共和国の事を調べなかったので、一抹の不安がよぎる。でも結局は別に問題もなく入国。
スロベニア共和国に入って初めにしたのはガソリンの給油。当時イタリアはヨーロッパで一番ガソリンが高い事で有名だった(今はどうなんだろう?)。もう辺りは大分暗くなってきていたけど、車窓から道端のあちこちに戦争の残骸が見えた。
第二の難関はスロベニア共和国とクロアチア共和国の国境。森の中、いつしか降り始めた雨で視界が悪い。機関銃を構えた兵士が両国側にいて、別に後ろめたい事は何もないのにとても緊張した。
クロアチアでの内戦が激しかった割に、リエーカはその被害を殆ど受けず綺麗だった。昔、ローマ帝国が栄えた頃、この辺はイタリア領だった事がある。イタリア人は今もイタリア名「フィウーメ」と呼んでいる、クロアチア第2の都市、また最も重要な港町だ。
僕達はリエーカで一番のホテルで二日間を過ごす事になった。海の幸をふんだんに使った豪華な食事が、毎回振舞われた(V.I.P.気分!)。
翌日、劇場に行くと、驚いた事に日本語を流暢に話すザグレブ出身のバイオリニストに出会った。聞くところによると日本に数年住んでいた事があるとか…。その上、日本で共通の知り合いがいた事にとても驚いた。
トリエステも素敵な町だった。ビザンチンの影響かイタリアなのにどこかオリエントの香りがして、不思議な雰囲気が漂う町。他の地方に住むイタリア人達の中にもトリエステは綺麗だと言う人が多い。コンサートは聖母マリア教会で盛大に行われた。楽員たちの演奏も素晴らしかった。

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「統一ドイツ誕生」の時

ベルリンの壁が崩壊してから数えると、もう15年になりますね。当時、僕はイタリアに住んでましたけど、あの時は確か旧西ドイツのフルダと言う都市の宮廷劇場でプッチーニの「蝶々夫人」に出演中でした。統一が宣言された翌朝、テレビのニュースで壁崩壊の映像が再び流れ「うわっ、今度は何?」と思ったのを覚えてます。
翌年2月に旧東ドイツ領内のヘムニッツ市民劇場やワイマール国民劇場等で歌った時、西と比べて随分違うなあと思いました。物価も比べ物にならない位まだ安かったし、道行く自動車もシュコーダやラダとかの旧式のものが殆どで数も少なかった。建物なんか第二次大戦の時にうけた砲弾の跡が残ってる所が結構あって驚きました。
その代わり東には馬蹄形の綺麗な劇場が沢山ありました。入場料も安かったし、いつも客席は一杯でオペラ本来の「皆の為の娯楽」がちゃんと成り立ってた。しかしその後、物価の上昇と共に幾つかの劇場が閉鎖に追い込まれたと言う事を知り、とても悲しかったです。

National Theaterワイマール国民劇場。ゲーテとシラーの銅像が印象的

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