抹茶のマドレーヌ

1週間振りのお休みだった今日は、妻が作った抹茶のマドレーヌを食べながら、お正月に放映された「のだめカンタービレ」の新春SP・2夜分をまとめて見ました。元が漫画だし、絶対にあり得ない事だと分かっているんだけど、それでも面白かったです。

抹茶のマドレーヌマドレーヌのルーツは18世紀半ばまで遡ります。料理長と喧嘩して晩餐会用のデザートを庭に捨てて出て行った菓子職人に代わって、小間使いの娘が、その晩、厨房に沢山残っていた帆立の貝殻に生地を流し込んで焼き菓子を作りました。味もさることながら主人であるロレーヌ公スタニスラス・レクチンスキーが感嘆したのはその形。祖母から教わったと言うそのお菓子には名前がなかったので、その娘の名前を取って主人が「マドレーヌ」と名付けたのだそうです。こうして1755年、ロレーヌ地方のコメルシー Commercy (ナンシーの西40Km)と言う町でマドレーヌは生まれました。
このマドレーヌが有名になった理由は2つあるそうです。1つ目は19世紀末から第2次世界大戦直前まで、コメルシーの鉄道駅で美しい女性達が籠を抱えて売った姿が、「コメルシー駅のマドレーヌ売り」として旅の土産話として国中に知れ渡った為。またもう1つは、1940年までコメルシーが仏国軍の駐屯地であった事から、兵隊達が郷里に帰る際に手土産としてマドレーヌを持ち帰り、「コメルシーと言えばマドレーヌ」と言う評判が定着したそうです。
コメルシーと並んで有名なのは同じくロレーヌ地方のリヴェルダン Liverdun (ないシーの北西15Km)と言う町のマドレーヌ。コメルシーのマドレーヌ売りをヒントにして、リヤカーに積み近隣の町まで売り歩いたの創業1922年のシェネル Chenel のマドレーヌが、「リヴェルダンのマドレーヌ」として知れ渡ったそうです。
我が家の抹茶のマドレーヌは、そう言った歴史とは裏腹に、和食党の娘の「ここではまっ茶のマドレーヌは売ってないの?」と言う素朴な疑問から生まれました。とは言うものの、一般的なマドレーヌのレシピにそのまま従い、生地も6時間以上ちゃんと寝かせている、立派なマドレーヌなんですよ。味の方は抹茶が加わって和風っぽくなり、僕も娘も満足でした。勿論、マーシャもね(^^)

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