モリエールの椅子

モリエールの椅子パレ・ロワイヤルの一角にあるコメディ・フランセーズの前に、モリエールが舞台で最後に腰掛けていた椅子がガラスのショー・ケースに入れて展示されています。と言ってもこれは劇場のロビーに展示されている本物の2倍もあるレプリカだそうですけどね。
1673年2月17日、既に致命的な病状にあったモリエールは友人達が止めるのを押し切って、「病は気から」 Maladie Imaginaire の4回目の公演の舞台に立ちます。
彼は団員達の生活を心配したばかりでなく、病気の妄想にとりつかれた男を演ずることによって、演劇の呪術的力によって、本物の病気をまぬがれ、死神を追い払うことができると信じていたのではないかと推測されます。
舞台の途中、彼の体を痙攣が襲います。しかし、彼は発作を隠すために笑いで誤魔化しながら、何とか最後まで持ち堪えました。
公演は大成功を収め彼の願いは叶えられましたが、この夜、ついにモリエールは帰らぬ人となってしまいました。公演終了後の僅か2時間後だったそうです。(「カントルの最後のテープ」より一部引用)。

さて、プーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」パリ公演はいよいよ今夜が最終日。昨夜は何事も支障なく無事に公演を終える事が出来ましたが、果たして今夜の公演や如何に!

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2 Responses to モリエールの椅子

  1. 保科義久  のコメント:

    『ティレジアスの乳房』拝見しました。
    私たち中高齢カップルは12月21日のミラノ・スカラ座の『ワルキューレ』を当日券で楽しんだ後、【中略】イタリア山奥の温泉旅館で大晦日を迎え、1月1日電車でニースへ。その後、行き当たりばったりに各駅停車の電車やバスで北上し【中略】リヨン経由で1月6日にパリ着。7日は16区にある食堂で3時間以上かかって昼食をとったため腹ごなしに歩きだし、オペラ座やオランピア劇場などを覗きながらオペラ・コミック座まで来て『ティレジアスの乳房』上演を知りました。と言っても、私はチラシにあるプーランク、アポリネール、ジャン・コクトーと言った名前にひかれただけで作品名も読めず。妻は「バーバラ・ボニーが以前日本で演じたのじゃない?」と、これが唯一の知識。ともかくお腹が空きそうにないので「夕食はやめてこれを観よう」ということになり当日券を購入。いよいよ20時。開演が遅れるという挨拶がありましたがフランス語がまるで駄目な私が隣の現地人(?)に聞きましたら英語で「インターネットが故障らしい」という奇妙な返事。ようやく幕が開いた瞬間、見た目と最初のジャズっぽい音楽だけで期待が大きく膨らみ「ストーリーは大したことなさそうだから、音楽と演技と美術と演出を楽しめばいい」と腹をくくりました。期待に違わずそれはそれは楽しい舞台。「ザンジ・バー」という名のサーカス一座が繰り広げる、玩具箱をひっくり返したような退廃的でシュールでにぎやかな舞台。あっという間の楽しい1時間30分でした。偶然の出会いでしたがうれしい出会いでした。完成度の高い作品だと感じました。
    ★帰国して、ストーリーやジャン・コクトーがどんな役割を果たした作品なのかふと知りたくなって、本日ネットを検索しましたら、この熊猫日記にぶつかった次第です。
    ★この作品に対するコクトーの役割、ショスタコヴィッチやMilhaudの音楽がプーランクと一緒に上演されるのは以前からのこの作品の定番スタイルなのか、今回のアイディなのか、といった基礎的なことをお教えいただければうれしいです。
    ◎リヨンに行くことは当分なさそうですが、これからのご活躍を遠く東京からお祈りしています。

  2. ひで のコメント:

    保科さん、はじめまして。
    ご丁寧なコメント頂き有難うございます。「ティレジアスの乳房」の公演をご覧になられたとの事、楽しんで頂けたご様子で大変嬉しく思います。
    > 「インターネットが故障らしい」という奇妙な返事
    恐らくは「イントラネット」とお聞き間違いになられたのだと思います。紛らわしい言葉ですよね。あの晩はこの故障によって、劇場内の通信システムが正常動作出来なくなってしまったんですよ。つまり、舞台上のスタッフ間や、楽屋とのコミュニケーションが取れないばかりか、上演に際して不可欠であった効果音等も影響を受けるという深刻な事態でした。幸いにも復旧したお陰で十数分の遅延で公演を開始する事が出来ましたが、ご来場頂いたお客様方にはご迷惑をお掛けした事と思います。
    > この作品に対するコクトーの役割
    同じ時代に生きた多くの芸術家たちがそうであったように、コクトー、ミヨー、プーランク等々、彼らもまた何かしら影響しあっていますね。
    20世紀初頭にパリで最初にジャズが演奏されたキャバレーの名前が”Le boeuf sur toit”(屋根の上の牡牛)だったとかで、コクトーはこの店の常連だったようです。ミヨーが作曲したこのバレエ音楽”Le boeuf sur toit”の初演に際して台本を書いたのもコクトーです。
    アポリネールはシュールレアリズムの名付けの親でもありますが、コクトー自身はダダイズムやシュールレアリズムとは対立する立場にあったようです。しかし、多くの作曲家、とりわけ「フランス6人組」という集団との関わりは深く、その中にはプーランクやミヨーも含まれています。
    それでは、ロシア出身のショスタコーヴィチとの関係はどうかと言いますと…
    恐らく直接的な関係はないのではないかと思いますが、ミヨーの作風の影響を受けているとも言われています。今回の公演に際しての選曲は、むしろジャズとの関係によるものでしょうね。保科さんご夫妻が「ジャズ組曲第1番の3 “フォックストロット”(ブルース)」を耳にされて「ジャズっぽい」とお感じになられたのはご尤もな事だったのです。
    > ショスタコヴィッチやMilhaudの音楽がプーランクと一緒に上演されるのは
    > 以前からのこの作品の定番スタイルなのか、今回のアイディなのか
    今回の公演に際して選択されたものです。ご存知のように「ティレジアスの乳房」は1時間ほどの作品ですので、通常ですと上演に際しては他の作品と組み合わされる場合が多いです。
    以前、シャンゼリゼ劇場で上演された際には、サティの「パラード」、ラヴェルの「子供と魔法」と組み合わされたそうですし、リルではメノッティの「霊媒」との組み合わせでした。
    また、日本で小沢征爾がサイトウ・キネン・オーケストラを振った際には、ジャコブの「仮面舞踏会」が組み合わせれていますね。
    この様にプロダクションによっても組み合わせはバラバラですが、今回に関しては相互に少しでも縁がある作品を選んだと言う事でしょう。
    > リヨンに行くことは当分なさそうですが、これからのご活躍を遠く東京からお祈りしています。
    有難うございます。

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